子供のとき以来、久しぶりにインフルエンザを患った。
高熱が出て、手足関節が痛くなるというあれである。
熱が下がり始めても、ウイルスは数日消えないらしく、他人に移さないようにと寝床での生活を強いられた。寝るのに飽き、また難しい本も読む気がせず、また所有のDVDも気が進まず、テレビをみることにした。
そこで、金八である。
なつかしいあれが、昼下がりに再放送でやっていた。
しかも金パチで一番有名といえるであろう「腐ったミカンの方程式」の回である。
加藤マサルである。
寡黙な加藤マサル。目で演技する、なかなかの存在感。
当時は「不良」という存在にリアリティがあり、
「不良」は役者ばりに真剣に「つっぱって」いたものだ。
時代全体が演劇ばってもいたから、その中で「不良」たちも、演劇的なセリフを大真面目に吐いていたものだ。そう、皆、大真面目でした。不良は大真面目にバイクに乗り、太いズボンを履き、眉毛を剃ったりしたいたのでした。泣けるぜ。
「悪さ」でいえば、今の「不良」達の方がきっと悪いことをしているのでしょうね。
でも、わかりづらい。水面下でうごめき、金パチの頃の「不良」のように、必死のパフォーマンスをしない。悪を装ったSOSのサインを表には出そうとしない。金パチを見ていると、「不良」も健康的だったんだなあ、と思う。あと不良も不良でない奴も、先生も生徒も親も、なんだかんだで共に生きていたのだなあ、とも感じる。ゴツゴツぶつかりながら、結局かなり熱く、共に生きている姿が金パチでは描かれている。このドラマを「クサイ」の一言で片付けることはできるけれど、「クサ」くない現代には「無臭」の不気味さや冷たさ、虚しさがある。「贈る言葉」歌って肩を組んでグチャグチャ泣く「クサ」さは恥ずかしいけれど、「クサ」さの排除を積み重ねて出来上がった現代の雰囲気をみると、これがベストとは思えない。センスの良い「クサ」さが必要なのだろうと思う。
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