切なく鮮やかな、ポロックの男気

先日、ジャクソン・ポロック展に行ってきた。

場所は竹橋の国立近代美術館、天気は大雨である。

 

この展覧会は絵を観るというよりも、ポロックという画家の生き様を見る感覚の強いものであった。展示は制作年代順に構成され、まずは「どうも冴えない、もう一歩足りない?」と感ずる作品が続いてゆく。「ポロックは一日にしてならずだなぁ。ポロックも苦労してるんだなぁ」と少々切なくなり、また同時に、その苦悩は、「頑張れば何か掴めるかもしれない」という我々への励ましにも通じてゆく。そんな試行錯誤期を越えて、ついに登場するドリッピング、ポーリング技法による作品は一段と輝かしいものであった。ストレートであっけらかんとした、湿度の無い「カッコいい絵画」という言葉が似合うのである。色彩の線や点は今現在も完全に生きており、鮮やかに連続、反射してゆく。ここには「意味」はなく、「躍動」と「響き」があるのみである。

ポロックの制作風景を映した動画をみた。絵の具を刷毛などで確かに滴らせているのだが、思いのほか「描いている」感覚に近い。7対3の7が意図的な描き、3が偶然性という感じである。だれでも描けそうに見えるドリッピングであるが、その滴りの大半は、ポロックのバランス感覚によるコントロールが濃厚に成されていることを目撃した。ポロックは自身の作品を「カオス」と言われることを嫌い、「カオスじゃねぇんだ」と言ったという。ここには、秩序があるのだと。やみくもなアドリブではなく、ある秩序を踏み超えた上でのグルーブなのだと。

 

そして、ポロックは頂点を極めたドリッピングの作風にしがみつかず、新たな作風に挑戦し、失敗する。何を描くべきか分からなくなり、アトリエから足が遠のいてゆく。そして飲酒運転の末、木立に激突し、44才でこの世を去った。

 

ヒット曲を一発出して、それで一生食ってゆく演歌歌手的人生ではなく(演歌歌手が嫌いな訳ではありません)、次々と新たな挑戦を繰り返してゆくピカソ的人生を選んだポロック。あなたの男気は、美しく、切なく、また鮮やかです。短かったけれど、最高の輝きを放ち、美術史を確かに揺さぶった作品を、私は確かに見ました。

 

 

 

 

 

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