「熱さ」へのノスタルジー

「日本ファッションの未来性」展を一週間ほど前に観に行った。

ちょうど台風が通り過ぎた日のことだ。

 

ファッションデザインの展覧会はあまり行く機会がないので、とても楽しみにしていた。同じ美術館で開催されていた特撮展にもそそられたが、あまり時間がとれず、ファッション展のみの鑑賞となった。

 

実物によってファッションデザイン「史」を概観できる機会は非常に貴重であり、今回の展示はそれだけで価値のあるものといえる。戦後、服飾の分野でどのような動きがあったのか、建築やアートなどの戦後史とぼんやり並列させながら、ファッションの戦後史をたどっていった。

 

展示は四つの部屋に分かれていて、それぞれに「陰影礼讃」「平面性」「伝統と革新」「日常に潜む物語」というテーマが冠されている。はじめの三つの部屋は、川久保玲、山本耀司、三宅一生といった面々の作品が目立ち、最後の部屋の「日常に潜む物語」には、90年代、00年代の新しい作品が展示されている。

 

「陰影礼讃」「平面性」「伝統と革新」の部屋は、非常に「熱い」。

どれも果敢なチャレンジが行われていて、鋭い。刺激的。

一見、静かな黒づくめの「陰影礼讃」も、攻撃と反逆と実験に満ち満ちている。

 

が、最後の部屋「日常に潜む物語」で一転、「へにゃっ」となる印象だ。

良く言えば「優しくなる」。意地悪く言えば「ふぬけになる」「こじんまりとまとまる」。

あー、ファッションも新しいセクションはこんな感じなのか、

倒すべき分かりやすい敵がいなくなって、癒しやエコや環境や共感の中に浮遊する、あの感じ。一見攻撃的な形のものもあるが、それらはどこか一周したテクニックに見え、エッジや牙は滑らかに面取りされているように見える。

 

「優しさ」も「ふぬけ」も、今の社会をそのままに鏡映しているのでしょう。

それはそれで分かるのだが、どうも「へにゃっ」と終わるのがちょっと物足りない。

あー、またこの感覚か、と。

「癒し」でふにゃふにゃした一方で、変に熱いのが「アニメ」と「オタク」かよ。と。

 

革新期の「熱さ」へのノスタルジーを、私は感じたのでした。