先日、森美術館で開催されている「会田誠」展に行ってきた。
何年か前の上野の森美術館で行われた会田誠と山口晃の二人展?も観に行っている。
その時の会田誠の印象は、「キツイなこれは、気分悪くなるな。でも絵は上手いな」というものでした。なぜなら、何百体という全裸の少女が巨大なジューサーミキサーに入れられて回転し、ミキサーの下の方は、血がたまっている、というものがメインの大作絵画でしたから。他にも文章や言葉にすると気分が悪くなるようなものばっかりです。少女がアジの開きみたいになってたり、、少女が、、云々という、言葉でかくとホントに気持ち悪いですね。要するに、この人は変態なわけです。自分で「青春と変態」という本を出すぐらいですから。
今回の展覧会は、会田誠の仕事を総覧する内容で、なかなか見応えのあるものでした。
「灰色の山」という山水画風の大作はすごい。
美しい余白とともにあるこんもりとした山は、実は背広のオジサンの死体の山である。日本のサラリーマンだけでなく、欧米の方々もいる。これは背広のおっさんに象徴される現代社会へのアイロニーであろう。
「電信柱、カラス、その他」という作品もすごい。
長谷川等伯風の余白の中、電信柱にカラスが止まっている。カラスがくわえているものは、人間の指や目玉やセーラー服の切れ端であったりする。
この2点、まず絵画としての美しさがある。
ここでいう美しさとは、水墨画や日本画の中にあるもの。
これは我々が知っている伝統的な形式の美しさであり、それによる安心感にも似た美しさといえる。その安心のフォーマットの上に、会田誠は変態を混ぜてゆく。
会田誠の、エロ・グロ・変態は、ほんとに「しょーもない」ものである。
いわゆる文科省的に、先生的に、道徳的に、好青年、お嬢様的には、最悪のシロモノといえる。
しかし、この真剣さ、パワーは何だ。変態的妄想が抜群の絵画力によって具現化され、徹底的にやりぬく精神力と体力によって馬鹿デカイ大作を作り切り、六本木ヒルズの森美術館で大展覧会をしている。何事も徹底することで、パワーとなる。
美術におけるおカタい既成概念、おカタい諸先生方、それらをブチ破る破壊力。
破壊力、という点では、抜群である。
しかし、破壊力だけでは美術となりえない。展示がゆるされない。理解されない。
辛うじて「美術に踏みとどまる変態」を構築するのが、会田誠である。
また、随所にユーモアと健全な頭脳が見え隠れし、それが会場を明るくしている。
エログロにやられない、心が元気な時に行くといいでしょう。
付き合い始めのデートには向いてません。
2012.12.23