2019 本年もよろしくお願い致します

ひさびさに。

日付をみると、最新のブログが約3年前になってます。

時の経つのは早いものです。

ロシアワールドカップが数日前に終わったばかりです。

ワールドカップを基準にすると、4進法で歳をとってゆく。

フランスが前回優勝したのが、20年前だとか。

そんなに昔のこととは思えないのだが、4進法だと、あっという間の20年間です。

 

それにしても、今回の日本代表は、ドラマティックでした。

オシムが目指していた日本のサッカーというものが、うっすら見えた気がします。

香川真司が勤勉に前線からワンサイドカットを続ける様が、私の目に焼き付いている。

あの真面目さと集中力が連動を生み出し、選手交代も含めて、それを90分間続けることができれば、

おそらく大抵の強豪とでも闘える。勝てるチャンスはある。ということが分かった。

 

明日から、J リーグが再開されます。

Jリーグも面白いですよ。

 

<2018/7/17>

 

 

 

 

 

 

 

 

あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

 

茅ケ崎は箱根駅伝のルートなので、毎年観に行きます。

各選手の後には監督(コーチ?)が乗っている車が伴走しています。

車に乗っている監督は、前方を力走している選手に向かってマイクロフォンで指示を与え続けています。おそらく、監督は、スタートからずっとしゃべりっぱなしです。

そして、その内容がわりと面白い。

何かの自己啓発本か?人生相談か?というような訓示めいたものを、延々選手にむかってしゃべり続けるのです。

 

「そうだ、そうだ、まわりのことは気にせずに自分を信じて進んで行こう。」

「いいよいいよ、今お前が一番いいぞ。そのままいこう」

 

などなど、淡々とした口調で、選手の気持ちを盛り上げてゆくのです。

大声をあげたり、怒鳴り上げる他のスポーツにありがちな指示ではなく、冷静に淡々と延々と諭してゆく駅伝の指示は、まるで「ストリート人生訓」でした。

これは新しい駅伝の楽しみかも。

 

<2014/1/6>

 

 

 

 

 

 

 

本年も大変お世話になりました。

本年も大変お世話になりました。

あっと言う間に2013年も終わりです。

 

先日、地下鉄ではなく、路線バスで東京を移動していたら、

「東京タワー前」というバス停に巡り会い、発作的に降り、東京タワーと久々の至近距離対面をしました。

現在は、2020東京オリンピック仕様のライトアップになっています。

 

路線バスは、思わぬ巡り会いが生まれて楽しいですね。

 

みなみな様、良いお年をお過ごしください!

 

<2013/12/31>

 

 

 

 

 

 

 

ミランの10番。そして、話は変わって、スティーブマックイーンのこと。

ミランの10番。

そこに日本人が座る。

高飛車なこと言い続け、言い聞かせ続けてきた男が、ついにこのユニフォームを手にしたらしい。

おいおい、マンガじゃあるまいし。

 

不調のミランとはいえ、ミランはミランである。

赤と黒の縦縞の、あのユニフォームの10番は、世界的スターであることに変わりはない。つまり、あのルート・フリットの後継者になったわけですから。

 

言霊と強気で自分の力を高めてきた男が、さらにステップアップするチャンスを掴んだ。移籍金ゼロだろうが、落ち目のチームだろうが関係ない。名門ミランを引き上げて、復活させて、本当の強者になってくれ。

 

話は全く変わって、俳優・スティーブ・マックインのこと。

「午前10時の映画祭」という企画の中の「タワーリング・インフェルノ」(1974年)を見ました。子供の頃によく観たこの映画ですが、なんだかんだで20年近くぶりの鑑賞です。

 

久々に観るスティーブ・マックイーンは、やはりかっこ良かったなぁ。

今、こういう深い味わいと男気を見せる俳優はいるのか?

 

(この映画、建築関係者の視点で観ると、リアリティという面で突っ込みどころ満載の映画ではありますが‥、この映画の本筋は、マックインとポールニューマンがとにかくカッコイイ、ということに尽きるのです。)

 

 「午前10時の映画祭」。次はなんと、あの「大脱走」(1963年)です。

「大脱走」こそ、スティーブ・マックイーン、そのもの。

 

都合をつけて、久々の「大脱走」を観ようと思います。

 

<2013/12/13>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タイムスリップ、ビートチャイルド。

「タイムスリップ」という体験を、初めて、本当に、してしまった。

映画「ベイビー大丈夫か?BEAT CHILD1987」のことである。

そして「タイムスリップ」とは、ただ懐かしかったり、楽しかったりするだけではなくて、結構しんどいことであることも初めて知った。

 

この映画は、1987年熊本・阿蘇にて、日本で初めて行われた野外オールナイトロックフェスの実録である。ブルーハーツ、ボウイ、レッドウォリアーズ、佐野元春、ストリートスライダーズ、渡辺美里、白井貴子、ハウンドドッグ、岡村靖幸、尾崎豊という「バンドブーム」真っ只中のスーパースター達が集い、豪雨の中、12時間ぶっ続けで行われたライブの記録である。現在ならば当然中止になるであろう過酷な環境の中、ミュージシャンもスタッフも観客も、あの時代特有の根性論で豪雨の一晩を乗り越えてゆく。

 

165分という長い映像、ドキュメンタリーは、YOUTUBEなどで断片的に観る映像とは圧倒的に違い、生々しく過去を立ち上がらせてゆく。26年前のミュージシャンの姿、スタッフ、観客の姿を、僕の目の前に完全に立ち上がらせるのである。劇場の大画面に立ち上がった彼らの姿は、26年前の自分自身の姿ともイコールであり、それらと本格的に対面する羽目になる。

 

26年前。当時流行っていた服装、当時の日常の服装。メガネの形、やたらタバコと吸い、ライブでは拳を上に突き上げてリズムをとるのが主流だった。シャツをきっちりとズボンの中に入れ、髪は刈り上げが全盛で、みな眉毛が濃かった。ステージではツヤツヤとした大友康平がシャウトし、妙に若く美しいダイアモンドユカイがマイクスタンドを振り回す。岡村靖幸は極限までキモチワルサ全開で爆笑の域であり(しかしそれは天才故であり)渡辺美里の衣装も、レッズのギタリスト・シャケの衣装も今からみればギャグに近い。

 

過去はある意味、滑稽で、ある意味グロテスクでもある。

 

みんな真剣で、それらは最先端だった。

いつしかそれらは滑稽となり、グロともなりうる。

 

時が流れる、ということの事実の一つなのだろう。

26年という歳月のボリュームがドンと、目の前に置かれる。

 

映画を見終わった夜、僕は上手く寝付けなかった。

26年前の彼らが、本当に居るのである。そこらへんに。

これは初体験の「怖いくらい」のタイムスリップでもあった。

 

豪雨の中、ステージ上の白井貴子がズブ濡れの観客に向かって叫ぶ。

 

「みんな、大丈夫か〜?」

 

この「大丈夫か〜?」は、26年前の彼ら(あるいは自分自身)から、現在の我々に向けたメッセージでもある。当時青春真っ只中だった「みんな」よ、今、元気にやってるかい?どんな人生送ってるかい?あの頃みたいに「燃えている」かい?

 

「みんな、大丈夫か〜?」

 

という風に、スクリーンから連呼されるわけです。

 

この映画は、単なるライブ映画ではないよな。

時ということ、人生ということを、不意に突っつかれる映画です。

 

あの時代に青春で過ごし、彼らが好きだった方、この映画観てみるといいですよ。

ぶっとびますよ。過去に。貴重な体験です。

 

<2013/10/30>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四月の末のことですが。

だいぶ前のことです。

四月の末のことですが、書きそびれて、ずっと気になっていたことを書きます。

ドリアン助川さんのライブに行きました。

馬喰町の小さなお店でのライブでした。

ドリアンさんは道化師の格好をし、スライドと語りと歌で、たっぷりたっぷり三時間以上‥‥(4時間近かったかな‥‥)の長い濃密なライブでした。

となりの絵は、ライブ中にドリアンさんの足、靴をスケッチしたものです。

 

ドリアン助川さんは、以前連載していた朝日新聞の人生相談でいつもすてきな回答をされていた方で、ただものではないな、と気になっていました。そして、ある日、偶然、ニコニコ動画で「クロコダイルの恋」という歌劇の生中継で見たのです。語りと歌による1人(正確にはギターの方と二人)ミュージカルのようなもので、これがとても良かった。迫真のパフォーマンスは、希有なものであり、心に響きます。

 

ライブ会場でCDも買いました。

「アルルカン洋菓子店」というユニット名で、「星屑通りで店開き」というタイトルのCDです。ゆったり静かな夜に、いい感じの歌達です。

 

<2013/8/27>

 

 

 

展覧会、無事終了。

茅ヶ崎市美術館で開催されていた「建築で知るちがさき」展が、8/4に無事終了いたしました。ご来場いただいた方、どうもありがとうございました。感謝申し上げます。

 

 

アートワークショップ「夏だ!My屋台モビールを作ろう!」開催

絵本作家・佐々木貴行さんより、7/30火のアートワークショップのチラシが届きました。とても良い時間になりそうです。皆様、お気軽にご参加を!!

詳細は、下記をご覧ください。↓

「あおぞら図書館&網芝居」イベントに加えて、

アートワークショップ「夏だ!My屋台モビールを作ろう!」イベントの開催情報をお伝えします。

 

本ワークショップ講師にお招きするのは、絵本作家の佐々木貴行氏(茅ヶ崎市在住)。絵本のみならず、お菓子のパッケージなどのデザインも手がける方です。

 

我々が自力建設した十字広場「お休みどころ」を会場にして、モビールづくりのアートワークショップを開催しますので、ぜひご参加ください。

 

日時:2013年 7月30日(火) 15:00〜17:00

        SPARKLING YATAIは、13:30に美術館をスタートして、十字広場に向かう予定です。

 

講師:佐々木貴行氏 (絵本作家/茅ケ崎在住)

会場:茅ヶ崎市南湖4-7 「南湖中央」交差点前  十字広場(仮)「お休みどころ」

参加費:材料費として、300円/1人

 

お問い合わせ、参加ご希望の方は、

michi.teppou@gmail.com(久保田)まで、ご連絡ください。

 

<2013/7/22>

 

 

 

 

 

 

7/23火 「あおぞら図書館&紙芝居」開催!

「あおぞら図書館&紙芝居」

〜鉄砲道「みちプロジェクト」イベント〜

 

 

場所:茅ヶ崎市鉄砲道沿い

   南湖中央交差点前「十字広場(仮称)」

 

住所:茅ヶ崎市南湖4-7

 

時間:15:00〜18:30

  (16:00〜16:30 紙芝居上演)

 

入場無料

 

紙芝居上演:茅ヶ崎紙芝居研究会さわやか

書籍提供:NPO法人セカンドブックアーチ

 

当日会場には、茅ヶ崎市美術館に展示されている「SPARKLING YATAI」が出動します。

 

←会場地図

 

SPARKLING YATAI 茅ケ崎市美術館に登場。

「SPARKLING YATAI」が、茅ケ崎美術館のエントランスホールに登場しました。

ぜひ、ご来場ください。

 

木琴ウイングや弦楽器ウイング、ミニピアノ、ミニドラムなどなどで自由に遊んでね!

 

すべてのイノチよ、スパークだ!

 

 

  期間:2013年 7月21日(日)〜8月4日(日)

          ※7/23火、7/24水、7/30火は、十字広場イベントに出張のため、

    SPARKLING YATAIは美術館にいません。

  場所:茅ケ崎市美術館

「建築で知るちがさき」展との関連展示です。

展示室には、ちいさなブースですが、建築、インテリア作品などのボード展示をしています。そちらも同時にご覧ください。

「建築で知るちがさき」展

7月21日(日)〜8月4日(日)まで、茅ヶ崎市美術館にて「建築で知るちがさき」という展覧会が開催されます。

本展は、茅ケ崎美術館の開館15周年を記念して行われる展覧会で、茅ヶ崎の建築の今昔を眺めてゆくものです。この展覧会に対して、いくつかのお手伝いをしています。

 

1:建築、インテリア作品展示:地元茅ヶ崎の建築家としての作品展示。写真、図面、模型。

 

2:屋台作品「SPARKLING YATAI」:いくつかの楽器を内包した移動式屋台。美術館エントランスホールに展示予定。(7/23火,7/24水と7/30火は、鉄砲道十字広場イベントに出張予定のため、美術館には展示されません。イベント会場にあります。)

 

3:鉄砲道「みちプロジェクト/屋台プロジェクト」:市所有の残地の有効利用を地元の方々と考えてゆくプロジェクト。茅ヶ崎の鉄砲道沿いの南湖中央交差点「十字広場」にて、7/7~8/4までの期間限定の「お休みどころ/小さな東屋、テーブル、椅子等」を地元の廃材を使って自力建設しました。お時間のある方は、ぜひ立ち寄って、ご利用ください。

 

以上、「建築で知る茅ヶ崎」展の企画の中で、いくつかの活動しておりますので、
茅ヶ崎美術館、少々足をのばして鉄砲道「十字広場」へ、ぜひお越しください。

よろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

「SPARKLING YATAI」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鉄砲道 十字広場

「お休みどころ』

 

 

 

 

 

 

<2013/7/16>

左官・榎本新吉さんのこと。

左官・榎本新吉さんが亡くなった。。

手ぬぐいを頭にまいた凛々しい写真が花の中に飾られていた。

 

私は、吉祥寺のライブハウス、スターパインズカフェの仕事の時に、榎本新吉さんに随分お世話になった。店内の生石灰クリームの塗り壁を自力で施工するために、その方法を榎本さんに教わったのである。「ってやんでぃ」という勢いにのって繰り出される言葉といたずらっぽい表情は、刺激に満ち満ちていて、多くの榎本新吉ファンが存在している。

 

「俺の仕事を、地球に優しい仕事とかなんとか、若い奴らが呼び始めやがったよ」

「伝統と伝承は違うんだよ。革新なくしては伝統とはならない。伝統は時代への挑戦である。」

 

榎本新吉さんが残した言葉である。

 

 仙石の仕事場にお邪魔したときは、いつも新しい手法を研究していて、それを私たちに教えてくれた。いつも革新への志向に満ち満ちていた。我々を叱りながら、目はとても優しく、思わず微笑んでしまう可愛らしさを持っていた。

 

新吉さんに教えてもらった生石灰クリームの塗り壁は、色彩抽象絵画のようで、わくわくするような可能性に満ちていた。その時の感激を思い出しながら、最後のお別れをしました。

 

榎本新吉さん、本当にありがとうございました。

ゆっくりとお休みになってください。

 

<2013/6/26>

 

 

W杯出場とコンフェデ

サッカー日本代表のワールドカップ出場が決定し、

ブラジル、イタリアと戦ったコンフェデレーションカップの2戦が終わった。

 

イタリアとの戦いは、3-4という恐らく誰も予想しなかったスコアで試合が終わった。

朝っぱらから非常にドラマティックな試合であった。

 

岡崎の感動的な運動量、そして3点目の同点ヘディングシュート

この人は、大事な点をもぎ取る人だ。

ガッツ、情熱の大切さを体現している人である。

 

勝てた試合を逃した感覚。

ディフェンスのミスが目立ち、あげなくてよい点を与えてしまった。

センターバックだけは、岡田ジャパンの頃の二人の方が信頼できるというのが、

今の代表の現状である。他のポジションは全部レベルが上がっていると思うが、センターバックだけは、退行していると感ずる。トゥーリオ、中沢のコンビの方が、ディフェンス面では鉄壁であった。

 

これから一年間鍛え上げて、ワールドカップ本番で、

イタリア、ブラジルに勝てれば、うれしい。

 

2013/6/20

 

 

 

 

 

 

 

 

新学期。

新学期を迎え、慌ただしい日々です。

 

最近は、つつじ、ハナミズキが咲き始め、周囲の彩りがパステルカラーからビビットカラーに変化しつつあります。

空気も暖かくなり、活動も積極的になる気がします。

季節の移り変わりは、気持ちも動かしてゆくものです。

 

新入学、進級、おめでとうございます。

 

 

 

 

 

長崎、佐賀、唐津を行く。

<2013/3/25>

 

 

 

 

 

 

 

クルクルポイだ。

ドンマイ 

雲の向こうにお日様

 

オーライ 

ひまわりの夢

 

後悔なんて 

クルクルポイだ

 

溶けてしまうよ 

チョコレートアイスクリーム

 

 

(中略)

 

気づいては また忘れての繰り返し

汚れた手は また洗えばいい

怒られたって またやらかしたって

あぁ美味いね 真夜中のラーメン

 

エジプトあたりの古い壁画の文字に

「昔はよかった‥」なんてことなんかも書いてあるらしい ハッハッハ

 

ドンマイ 雲の向こうにお日様

オーライ ひまわりの夢

デカく行こうぜ ちょちょいのちょいだ

冷めてしまうよ さぁ食おうよラーメン

溶けてしまうよ チョコレートアイスクリーム

 

作詞:斉藤和義 作曲:斉藤和義

「ひまわりの夢」

 

http://www.youtube.com/watch?v=vNLSrJ7V5Ug

 

斉藤和義、センスいいなぁ。

クルクルポイのちょちょいのちょいだ!

 

2013/2/22

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

笑い、ユーモアの学会

「笑い学会」なるものがあることを発見し、先日公開研究会を覗いてみた。

「笑い」や「ユーモア」といったキーワードは、自分自身のデザイン・造形活動の中で大切なものとなりそうな予感がある。「笑い」という事柄を学問する組織があるならば、と、講演会場のある浅草へと寒い突風に吹かれながら出かけてみた。

この日の講師は日本在住16年のフランス人で、日本語で落語を演じる方である。「桃太郎」という創作落語を披露した後、「フランス人の笑い・日本人の笑い」というテーマで講演をされた。

フランス人の笑いは、政治家をバカにするなどというブラックジョークが多いという。そして日常会話の中のジョークも日本よりも断然多いそうだ。また、たくさんの人種が混在するため、一種の人種差別的なジョークも多いという。しかし日本にある「なんでやねん」と相手の頭をたたくような「つっこみ」は存在しないという。これはフランス人は決して「謝らない」という習慣があり、常に自分が正しいというスタンスがあるからだそうだ。頭をたたかれたならば笑いにならず、「なぜ、たたくのか?」と反発してしまうのだろう。

 

講演が終わると活発な質疑応答の時間がとられ、「学会」らしい雰囲気となっていた。「ユーモアとジョークの違いは?」という質問に対しては、「ユーモアは生き方、ジョークは演じるもの」という答えが返ってきていた。

 

なるほど、世の中にはいろいろな学会があるものである。

私がイメージしていた「笑い・ユーモアとデザイン・美術の関係」に関して研究するような人はほとんどいないらしく、少々、場違い、アウェーな空気を感じながら、列席した浅草のひとときでした。  

<2013/2/17>

 

 

 

 

 

 

トラと漂流する話。

昨日夕飯後、朝日新聞夕刊の映画評を読んでいた。

 

『太平洋で遭難したパイが救命ボートに乗り込むと、輸送中のベンガラトラが潜んでいた。パイはトラを追い払いきれず、命を危険にさらして共に漂流するー。』

 

むむむ。

なんだ、これは。

気になるではないか。面白そうだな。

調べると近所の映画館で上映している。

レイトショーまであと30分。ちょうどいい時間だ。

ん、そして、なんと今日は偶然2月1日。映画の日ではないか。

これはすぐに映画に行け!という啓示に違いない‥。

 

家人と共に発作的、突発的に映画館へ向かった。

タイトルは「ライフ・オブ・パイ(LIFE OF PI)」

 

なかなか見応えのある映画でした。

私が観たのは3Dではなく、2Dだったのですが、それでも迫力満点でした。

 

猛烈な嵐の中、奇跡的に一命をとりとめたボートの上に、トラがいる。

一難去って、また一難。

こんな恐ろしいことが続いていいのか、と観ていて胸が痛くなります。

底知れぬ大自然の姿は、トコトン恐ろしく、またトコトン美しい。

最新の映像技術を駆使して、存分にその両極を表現してゆく。

 

主人公と共にハードなサバイバルを乗り切ったあとは、静かに考えさせるエンディングへと向かいます。

テレビドラマではなく、映画ならではのボリューム、密度です。

一汗かく感じです。

 

原作の小説「パイの物語」は、イギリスでブッカー賞をもらっているのですね。

小説も読んでみたいものです。

<2013/2/2>

 

 

 

 

 

 

 

2013 本年もよろしくお願い致します。

2013

本年もよろしくお願い致します。

 

 

年の初めに1曲。

ブルーハーツの名曲 「青空」。

 

http://www.youtube.com/watch?v=6ssiTuXTNnU

 

 

 

正月の青い空を見上げて、

心を新たにしたり、

昨年を思い返したり、

大きいことを考えたり、

小さいことを考えたりします。

 

 

「眩しいほど 青い空の真下で」

 

 

突き抜けるような真冬の青空の美しさと

どんよりと濁った「僕のゆううつ」。

その対比が鮮やかに描かれています。

 

 

作詞、作曲は真島昌利(マーシー)。

甲本ヒロト作詞作曲じゃないんですね。この曲は。

ヒロトとマーシーのコンビは、最強です。

 

 

ブルーハーツの歌は、今の子供たちの心にも届きそうです。

ブルーハーツの「迫真」は、世代、時代を超えてゆく力がありそう。

 

2013.1.4

 

 

 

 

 

 

 

 


aidamakoto

先日、森美術館で開催されている「会田誠」展に行ってきた。

 

何年か前の上野の森美術館で行われた会田誠と山口晃の二人展?も観に行っている。

その時の会田誠の印象は、「キツイなこれは、気分悪くなるな。でも絵は上手いな」というものでした。なぜなら、何百体という全裸の少女が巨大なジューサーミキサーに入れられて回転し、ミキサーの下の方は、血がたまっている、というものがメインの大作絵画でしたから。他にも文章や言葉にすると気分が悪くなるようなものばっかりです。少女がアジの開きみたいになってたり、、少女が、、云々という、言葉でかくとホントに気持ち悪いですね。要するに、この人は変態なわけです。自分で「青春と変態」という本を出すぐらいですから。

 

今回の展覧会は、会田誠の仕事を総覧する内容で、なかなか見応えのあるものでした。

 

「灰色の山」という山水画風の大作はすごい。

美しい余白とともにあるこんもりとした山は、実は背広のオジサンの死体の山である。日本のサラリーマンだけでなく、欧米の方々もいる。これは背広のおっさんに象徴される現代社会へのアイロニーであろう。

 

「電信柱、カラス、その他」という作品もすごい。

長谷川等伯風の余白の中、電信柱にカラスが止まっている。カラスがくわえているものは、人間の指や目玉やセーラー服の切れ端であったりする。

 

この2点、まず絵画としての美しさがある。

ここでいう美しさとは、水墨画や日本画の中にあるもの。

これは我々が知っている伝統的な形式の美しさであり、それによる安心感にも似た美しさといえる。その安心のフォーマットの上に、会田誠は変態を混ぜてゆく。

 

会田誠の、エロ・グロ・変態は、ほんとに「しょーもない」ものである。

いわゆる文科省的に、先生的に、道徳的に、好青年、お嬢様的には、最悪のシロモノといえる。

しかし、この真剣さ、パワーは何だ。変態的妄想が抜群の絵画力によって具現化され、徹底的にやりぬく精神力と体力によって馬鹿デカイ大作を作り切り、六本木ヒルズの森美術館で大展覧会をしている。何事も徹底することで、パワーとなる。

 

美術におけるおカタい既成概念、おカタい諸先生方、それらをブチ破る破壊力。

破壊力、という点では、抜群である。

しかし、破壊力だけでは美術となりえない。展示がゆるされない。理解されない。

辛うじて「美術に踏みとどまる変態」を構築するのが、会田誠である。

また、随所にユーモアと健全な頭脳が見え隠れし、それが会場を明るくしている。

 

エログロにやられない、心が元気な時に行くといいでしょう。

付き合い始めのデートには向いてません。

 

2012.12.23

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おきなわ2

「おきなわ」の続き、です。

ちょっと時間があいてしまいましたが。

 

那覇を拠点にして、象設計集団設計の名護市庁舎、今帰仁村中央公民館に行ってきました。これもまた、22年ぶりに見たわけです。

 

まず、樹木が大きくなっていること。それに感動する。

何十年という月日がまず、これに象徴される。

これは同じ象設計集団の埼玉県宮代町の進修館、笠原小学校を訪れた時にも、同じ感銘をうけます。圧倒的な植物の力に心打たれます。

ああ、年月がたったんだな。年月が経つとういうのは、こういうことなんだな、と思う。そして建築も樹木と一緒に、そこに居続け、年をとっていくのだな、ということを再認識するのです。

 

身内が設計したものなので手前味噌ですが、「良い年のとり方をしている」という印象です。三十年の年月を染み込ませて、既に遺跡のような雰囲気がある。例えるなら、使い込んで味わいを増してゆく革製品のようであり、これが象の建物の特徴であろうと思う。新築の時には決して分からない、象の建物の長所であろう。

名護市庁舎のアサギテラスには、植木鉢が溢れ、いつのまにか池が形成され、メダカが泳いでいる。テーブルや椅子がテラスに配置され、そこでは打ち合わせやミーティングが行われている。

 

権威的で閉鎖的な役所を徹底批判し、あらゆる立場の人々、植物、動物が混じり合ってゆくことをイメージした建築のコンセプトが、ここに確かに結実しているのを目撃した。

 

 

 

 

 

 

おきなわ

先月の連休に、沖縄に行ってきました。

前に行ったのが19才の時ですから、実に22年ぶりの訪問です。

 

久方ぶりに眺めた沖縄の街は、やはり随分変わったなぁ、という印象でした。

どこにでも、ツタヤはあり、ユニクロはあり、コンビニはある。

日本全国の国道沿いが、沖縄も含めて同じ風景になっている。

 

  前回、22年前に沖縄に来た時は、

「とんでもなく遠い南の島に来たもんだ」と思ったものでしたが、

今回は、そうは思わなかった。

(まあ、今回は波照間島などの離島に行けず、季節も夏ではなく秋だったので単純比較はできないのですが、、。)

 

時間的には東京から飛行機で2~3時間で着いてしまうけれど、

私は間違いなく膨大な海と山を超えて沖縄に来た。

東京と沖縄には絶対的な距離があります。

よって気候も全然違います。

従って、文化も違います。

 

だけど、車のラジオではFM東京の番組が流れ、なぜか多摩川の話題が語られている。

部屋のテレビでは、東京でよく見るバラエティ番組が流れている。

 

これは、とても当たり前のことです。

全く当たり前のことなんだけど、同時に非常に不自然なことでもある。

こんな遠い南の島と東京で、同じ言葉が使われ、同じ店に通い、同じ流行を追うというのは。

 

政治や経済といったパワーの強大さを随所に感じるわけです。

 

沖縄は本来、日本でも、アメリカでも、中国でもなく、

琉球王国なのですから。

 

首里城跡や今帰仁城跡の石垣と、ツタヤの青い看板がオーバーラップします。

 

人々は未知なる土地へ旅をして、文化は混じり合います。

それは自然なことで、否定のしようがありません。

しかし、政治や経済や技術に、

流されるままに、流されるままに、流されるままに、していると、

その場所の地形や気候、土や水や日の光などといった揺るぎない「真実」と、

国家という枠組などの「作り話」とのギャップが大きくなりすぎてしまう。

 

旅の欲望と場所という真実。

両者、がっぷり四つです。

 

 

 

初・対面

今までにさんざん

「岡本太郎、太郎」と言っていたくせに、本物をみたことがなかったのです。

 

そうです。

岡本太郎の太陽の塔。

 

大阪には何度も行ったことがあるのですが、何故か訪問しなかった。

積極的に足を伸ばそうとしなかったのです。

 

 

今回、関西に行く機会があり、

ついに行ってきました。万博記念公園の太陽の塔に。

 

あれは、すごいぜ。

やっぱり。

実物と写真では全然違う。

写真をさんざん観て、知った気になっていましたが、

あの実在感は、写真ではわからない。

 

ひとつの思想が怪獣のようにそびえ立っている。

あるいは、壮大なるバカが、ほんとに実在している。

あの大きさで。

 

その非現実感がすごい。

非現実感の実在がすごい。

 

あれがある関西と

あれがない関東とは、なにかが違うのではないか。

 

あれが実在していることを幼少の頃から目にしているのと、していないのでは、

心の作用が少々違ってくるのではないか。

 

 

今度、大阪に行ったら、また寄ろうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キンモクセイと

キンモクセイの香りが町中にただよって、

「いいもんだなぁ」と思っていたら、やがて大雨が降ってきました。

大雨でせっかくの甘い香りが薄まってしまった頃に、日本はカナリア色のユニフォームのブラジルに大敗しました。それでも本田はブラジルを「格上だと思っていない」と言う。本田の強気の言霊(ことだま)は、いつか輝かしいものを生み出しそうですね。目標や夢をあえて口に出して、その気になって、いつしか実現してしまおうとする。そんな本田氏のチャレンジ、とても刺激になります。

 

そしてキンモクセイの香りが完全に消えた頃に、画家の宇佐美圭司さんが亡くなりました。三島で行われた宇佐美さんの展覧会に、数ヶ月前に観に行ったばかりです。

その展覧会は、我々観者が宇佐美さんの思考の渦の中に身を投じてゆけるような会場構成であり、宇佐美さんの仕事を全身で体感することができる素晴らしいものでした。ひとすじの制作と思考の道、追求、あこがれの生き方です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「熱さ」へのノスタルジー

「日本ファッションの未来性」展を一週間ほど前に観に行った。

ちょうど台風が通り過ぎた日のことだ。

 

ファッションデザインの展覧会はあまり行く機会がないので、とても楽しみにしていた。同じ美術館で開催されていた特撮展にもそそられたが、あまり時間がとれず、ファッション展のみの鑑賞となった。

 

実物によってファッションデザイン「史」を概観できる機会は非常に貴重であり、今回の展示はそれだけで価値のあるものといえる。戦後、服飾の分野でどのような動きがあったのか、建築やアートなどの戦後史とぼんやり並列させながら、ファッションの戦後史をたどっていった。

 

展示は四つの部屋に分かれていて、それぞれに「陰影礼讃」「平面性」「伝統と革新」「日常に潜む物語」というテーマが冠されている。はじめの三つの部屋は、川久保玲、山本耀司、三宅一生といった面々の作品が目立ち、最後の部屋の「日常に潜む物語」には、90年代、00年代の新しい作品が展示されている。

 

「陰影礼讃」「平面性」「伝統と革新」の部屋は、非常に「熱い」。

どれも果敢なチャレンジが行われていて、鋭い。刺激的。

一見、静かな黒づくめの「陰影礼讃」も、攻撃と反逆と実験に満ち満ちている。

 

が、最後の部屋「日常に潜む物語」で一転、「へにゃっ」となる印象だ。

良く言えば「優しくなる」。意地悪く言えば「ふぬけになる」「こじんまりとまとまる」。

あー、ファッションも新しいセクションはこんな感じなのか、

倒すべき分かりやすい敵がいなくなって、癒しやエコや環境や共感の中に浮遊する、あの感じ。一見攻撃的な形のものもあるが、それらはどこか一周したテクニックに見え、エッジや牙は滑らかに面取りされているように見える。

 

「優しさ」も「ふぬけ」も、今の社会をそのままに鏡映しているのでしょう。

それはそれで分かるのだが、どうも「へにゃっ」と終わるのがちょっと物足りない。

あー、またこの感覚か、と。

「癒し」でふにゃふにゃした一方で、変に熱いのが「アニメ」と「オタク」かよ。と。

 

革新期の「熱さ」へのノスタルジーを、私は感じたのでした。

 

 

 

 

小さな奇跡を生み出すために

W杯アジア最終予選イラク戦。1-0の日本の勝利、ライバルのオーストラリアはヨルダンに敗戦。

よって日本の首位独走状態となった。

 

ワールドカップ予選最終予選が数ヶ月に一度行われるサイクルにも慣れてきて、

日本が勝ち点を重ねる状態にも慣れてきた。熱い夏が終わって、静かな秋が来るように、ワールドカップアジア最終予選にも秋のような落ち着きが訪れたような気がする。こうなれば早く予選を勝ち抜いて、ワールドカップ本大会での日本代表を想像したいものだ。

 

それにしても長友はすごいなぁ。

あの体幹の強さと元気一杯、無尽蔵な体力は、さすがインテルだ。

 

そして大事な試合でいなくなる香川には、一抹の不安を抱いてしまう。

くれぐれもマンUでは、のびのびとやってください。

 

そしてなんと言ってもジーコである。

6年ぶりの埼玉スタジアムに立つジーコの姿は懐かしく、あの頃を思い出させた。

ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾというブラジル代表の「黄金のカルテット」をそのまま日本代表に当てはめ、中田英寿、小野伸二、中村俊輔、稲本潤一による「和製・黄金のカルテット」迷いなく並びたてた。当時のジーコの方法は、「戦術は、オールスター!」だったといえるだろう。意地悪く言うと戦術もなにもあったもんじゃない、という状態である。そのかわり、ジーコジャパン初期の頃、観客である僕らは喜んだものである。難しいことを言わずに、スターを並べてくれるのだから。

 

そのジーコ、日本代表の敵として6年ぶりに現れたジーコは、極端なまでの策略家になっていた。前戦からスタメンを10人変え、日本のパスの出所である遠藤と長谷部に対して、徹底的な密着マークをさせたのである。日本代表監督を離れてから、様々なチームで経験を積んだジーコは、監督として進化をしているようだ。昨日の試合の前半は、ジーコの戦術によって日本代表が苦しめられたのは明らかである。

遠藤、長谷部を封じられた日本代表は、腸(はらわた)を押さえつけられるように動きづらかった。そんな重く鈍い動きの中で、突如、閃光のように駒野のスローインから岡崎、前田へと、点と点が結ばれた。岡崎のアウトサイドと飛び込んだ前田の額。得点というものは、小さな奇跡が積み重なって生まれるものだとつくづく実感させられる。そしてこの種の奇跡は、ラッキーや偶然から生まれるのではなく、確かな実力があって初めて生み出されるものである。この奇跡を生み出す実力を磨くために、岡崎はドイツで修行をしているのだろう。それが昨夜、実った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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夏の終わりに

今年の夏が、もうすぐ終わりそうです。

いくつになっても、夏の終わりは何だか淋しいものです。

 

茅ヶ崎に移り住んでからは、夏がより鮮やかになりました。

東京の真夏はコンクリートからの照り返しがムワッと熱く、ただひたすら辛かった印象があるのですが、茅ヶ崎は海が近いためか、夏が暑いほど、気持ちが盛り上がります。これは東京にいた頃との大きな違いです。

 

濃い緑の葉っぱの越しに見える真っ青な空と真っ白な入道雲は、子供の頃に遊びに行ったおばあちゃん家を思い出させます。茅ヶ崎で夏を過ごすと、日常の様々な場面で子供の頃の夏休みを思い出します。

 

先日は、ふと思い立ち、夜の海にバーベキューをしに行きました。

海水浴の人達が引いたあとの、砂浜の上です。

月の灯りが波を照らし、とても幻想的です。

月灯りと海面は、とても相性がいいのです。

そしてドンドンと、突然花火が上がったりします。

これは、花火大会ではなく、誰かが個人的に上げている大玉花火です。

毎年夏の終わり頃の浜辺では、必ずいくつかの「個人」花火が上がります。

それに偶然出会うと、ちょっと得した気分になるのです。

 

完全に夏が終わってしまう前に、

もう一度、海に行って夏をかみしめたいところです。

 

 

 

 

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追悼 太田徹、そして茅ヶ崎花火。

サッカーと共に生きた建築家、太田徹さんが亡くなった。享年57才。

 

太田さんとは私が子供の頃からのお付き合いで、幾つかの仕事もご一緒させていただいた。若い頃の太田さんは、日に焼けたバリバリのサッカーマンで、とても格好良かった。仕事では、何度も何度も打ち合わせを重ね、図面を描き、模型を作り、酒を飲み、現場で闘った。

 

あんなに頑強な筋肉の持ち主だった太田さんの身体が骨になってしまった。

タフでクレバーなサッカーをする身体、強い筆圧で太い図面の線を描く、太田さんの身体が骨になった。

 

僕はお骨を拾い、筋肉を脱ぎ捨てた太田さんと向き合った。

これからは、筋肉を脱ぎ去った太田さんとのお付き合いが始まります。

これは違うステージでのお付き合いです。

 

人間は、どうしてもいつか、死んでしまう。

今までに幾つもの死と対面してきましたが、その人の骨と「心のようなもの」は我々の住んでいる世界に残ります。目の前に活動する肉体がなく、僕らの呼び掛けに答えてくれないのはどうにも悲しく淋しいのですが、僕らは莫大な故人の「心のようなもの」と、日々共に生きているのも事実です。

 

我々は今、たしかに活動する筋肉をまとって生きています。我々は精一杯、この身体を燃やして生きてゆくしかないですね。なるべく充実した、楽しい日々を過ごせるように。

 

太田さんから学んだものを、改めて大切に心に留め、また誰かに伝えてゆければと思います。そうやって、心と心を連綿と継ぎ足しながら、人は生きてゆくのでしょう。

 

 

太田さんのお骨を拾った日に、茅ヶ崎海岸で花火大会がありました。

今年の花火は、いつもより綺麗に見えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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あまりに速すぎて

永井が

あまりに速すぎて、

あまりに良いプレーをするので、だんだんイケメンに見えてきました。

 

サッカーって、不思議です。

 

「女子はメダルとれそうだけど、男子はダメだ」

と言い切った釜本は、

今、みんなに謝っているそうだ。

 

交代でたびたび登場するMF斉藤学は、

顔面が愛媛みかんのように「つるん」としているので、

我が家では、「つるん」と呼んでいる。

 

ついでにMF扇原は、中学生みたいな顔なので、

我が家では、「中学生」と呼んでいる。

 

中2日のインターバルでサッカー男女が絡み合い、

他のスポーツも深夜に割り込んでくる今回のオリンピックは、

なかなか慌ただしいですね。

 

これから、王者の余裕、調整試合という位置づけであろう

「なでしこ 対 南アフリカ」 が始まる。

 

観戦者の我々も、決勝トーナメントにむけて、ひと休みだ。

 

 

 

 

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すべての爆弾が花火になれば〜映画「この空の花」〜

大林宣彦監督の映画「この空の花」を観た。

なんとも「すごい」映画でした。

ネット上でこの作品への評価が高まっていて、この度、それにつられて観に行ったのです。

 

大林監督の講演を、数年前に聴いたことがある。氏は筋金入りの平和希求者(←言葉が相応しくなければ、すみません)であり、講演では「スターウォーズは『戦争』映画です。」と、当たり前かつ本質的、な言葉を語っていた。私はその言葉によって「戦争反対のくせにスターウォーズ好き」という自分の矛盾に気づかされたのだった。氏の仏のような柔らかい物腰と、ぶっ通しで2時間立ちっ放しで語り続ける情熱に、大いに心打たれたのである。

 

今回の映画は、そんな大林監督の戦争廃絶、平和希求への思いと、「大林マジック」と言われる映像手法の熟練の極みを感じさせるものだ。東日本大震災を経て、監督の思いはとどまることを知らぬ滝のように流れ、渦を巻き、猛烈な運動を起こしている。
戦争、原発、主体、客体、役者、観客、過去、現在、実写、アニメ、ハイテク、ローテク、フィクション、ノンフィクション、爆弾、花火‥。いくつもの、いくつもの要素が目まぐるしく重なり、シェイクされ、我々を巻き込んでゆく。実際スクリーンの中の役者は、カメラ目線でこちらに話しかけてきたりする。スクリーンと観客席、そしてスクリーン内の現実と劇中劇、いくつものレイヤーが錯綜し、圧巻のクライマックスへと突入してゆく。濃密な160分。

 

挑戦的な(故に、正直、たまに鼻につくこともあった)「大林マジック」的映像手法。それが筋金入りの平和希求と相まって、ものすごい高みに上り詰めている。映画という表現の可能性と力を気づかせてくれます。

 

大林宣彦監督、御年74歳。

ものづくりを蓄積し、ついに到達する渾身の表現。そしてまだまだ進化する姿。

憧れと敬意を感じます。

 

 

※ 映画「この空の花」~東京では、渋谷アップリンクで で上映中。

 

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ふたつの人混み

先日7月16日は、早朝から茅ヶ崎海岸での「浜降り祭」、午後には代々木公園での「さよなら原発10万人集会」に足を運び、一日で二つの人混みに遭遇した。

 

浜降り祭は、茅ヶ崎の各地域から多くの神輿が海岸に集まり、神輿を担いだまま海に突入するというワイルドな祭である。早朝から私は缶チューハイ2本でほろ酔いとなり、屋台のタコ焼きやイカ焼きの至福の波間にゆらゆらと溺れた。

 

変わって午後、炎天下の東京・代々木公園では、色とりどりの全国の地域、組織の旗が揺らめき、「原発反対」のコールが繰り返されている。近頃、新聞を読んでブツブツ文句を言っているだけの自分に疑問を抱き始め、実際に現場を目撃してみることにした。参加のスタイルは、コールはせず、歩くパレードにも加わらず、トークや音楽ライブを観るのみとした。


ライブにはやはり、忌野清志郎が降臨していました。若手バンドはRCサクセションの「明日なき世界」をカバーし、何人かの観客は清志郎の特大看板を掲げて、それに応えていた。

 

「でもよぉ〜  何度でも何度でも オイラに言ってくれよ」

 

と、確かにそこには清志郎が降臨していた。

清志郎の歌は今、より鋭さを増している。映像で彼の歌う姿を観かえす度に、この人の才能と生き方に私はシビれるのである。


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七夕まつり

平塚の七夕まつりに行った。

 

14年に渡る東京生活を終えて「明日」大阪に帰る友人。「七夕まつりへ行きたい」という希望にこたえて、バスで隣町へ出かけた。

昨年の七夕まつりは震災による自粛のため、夜の照明が点灯しなかった。おまけに非常に不味い油まみれの「手羽先餃子」や、手抜きの「大タコ焼き」を食わされるハズレ屋台に出会ってしまい、我が家の平塚七夕まつりの印象は著しくダウンしていた。よって今年は、七夕まつりに自ら進んで行こうという発想はなかったのだが、友人の気分に乗って、急遽、七夕飾りのたなびく隣町へと乗り込んでゆくことになったのである。

 

やはり灯りのついた七夕飾りは、いいものだ。

本場、仙台の七夕飾りには規模的に遠く及ばないが、ビールのほろ酔いに七夕の飾りは良く合う。雨まじりの天気だったが故にとても涼しく、吹き流しの隙間を「さらさら」と静かな風が吹いていた。

 

平塚という街には地方都市独特の雰囲気があって、「昭和」の臭いが色濃く残っている。祭の軒の列には、即席?(老舗?)の「お化け屋敷」があり、入り口では呼び込みのおばさんが「今年のお化けはひと味違うヨ〜」などと低音の声で繰り返している。想像するに、屋敷の中にはお化け役のオジサンやオバサンがいるのだろう。そしてロープで吊ったろくろ首なども出てくるのでしょう。安っぽい「作り」は、オバケではなく逆に人間を生々しく浮かび上がらせ、違う意味で「怖い」お化け屋敷なのだろうと僕は予想しました。(ちなみに入場料は500円。大人も子供も。幼稚園生は400円です。300円にしないのが、ケチなところです。)でも、こんな希少なお化けや屋敷は、絶滅しないで欲しいですね。来年また巡りあって、お酒の感じと機嫌が良かったら入ってみようかと思います。

大阪へ帰る友人は、中ぐらいの街の中ぐらいの盛り上がりの祭を通り抜けて、中ぐらいの幸せを持ち帰って旅立ってゆきました。またこちらに来た時は、遊びましょう。

 

 

 

 

 

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少し上の空を見て〜サンチャイルドと大仏

東京・夢の島の第五福竜丸展示館前に、ヤノベケンジ作の「サンチャイルド」が出現している(〜7/1まで)。この作品は、3.11震災後にヤノベ氏が制作した巨大彫刻(高さ約6M)である。

ヤノベ氏の作品のトレードマークともいえる黄色いアトムスーツを着た少年「サンチャイルド」は、ヘルメットをとって、少し上の空を見つめている。放射能を防御していたヘルメットを脱ぎ捨てることで、放射能が在る世界との決別を決意しているようにも見える。頬には絆創膏が貼られ、顔は傷だらけである。とにかく大きく澄んだ黒目は、少し上の空を見つめながら、立ち上がり、負けずに進んでゆこうとしている。瓦礫の中からすくっと立ち上がった少年、あるいは「立ち上がる心」が描写されていると感じる。

サンチャイルドの制作風景の映像を観たが、私はそこに「大仏」を感じた。ヤノベ氏の指揮のもとに、美大生?を中心に、多くの人々の手によってじっくりと綿密に作り込まれた巨大「人型(ひとがた)」彫刻は、仏像となんら変わりはない。素材にスチロールやFRPを使おうとも、ある種の祈りを込めた巨大な人型の物体は、大仏と等しい。

斜に構えた批判や客観によるアートは、被災の当事者では成し得ない。

切迫した状態で立ち上がるアートからは、「ひねり」の要素が無くなるのだろう。

このあまりにもシンプルな心とカタチの関係は、僕らに根源を提示している。

それは、心とカタチの間の贅肉を削ぎ落としたものといえるのだろう。

 

 

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ブラジルW杯アジア最終予選 日本vsオーストラリア

「引き分け」という結果が妥当な試合であった。

オマーン、ヨルダン戦があまりにも良い出来だったので「オーストラリア戦も圧勝したりして」という小さな希望を持っていたのだが、そうはいかなかった。

セルジオ越後が戦前に「日本が強くなったと思ったら大間違いダヨ」と湿っぽく語った通りに、日本はオーストラリア相手に、そこそこの苦戦をした。

 

やはり、オーストラリアはラグビーの国だなぁ。

みんな、牛みたいだったなぁ。

オージービーフだなぁ。

 

牛に勝つには、ちょこまか足元ですばやく動くしかないなぁ。

…て、それをやってますね。今の日本代表は。

香川の動きなんて、まさに、ちょこまか、すばしっこい小動物みたいだもんな。

香川の繊細緻密スピーディなボールタッチは、さすがマンUです。

 

日本代表の方向性は、多分、これで合っているのでしょう。

「ちょこまか、すばやく」を極めてゆくことで、いつの日かワールドカップの頂点に立てるといいな。

 

 

 

 

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ブラジルW杯アジア最終予選 日本vsヨルダン

6-0の快勝である。

もっと苦労する心構えでいたのだが、前戦に引き続き圧勝してしまった。

このまま良い状態で突き進んでほしいものである。

 

本田のプレーに対して、前戦に続いてひとこと。

本田のプレーには「装飾」がない。

ゴールに向かって、最短の選択をしようとする。

徹底して削ぎ落としたある種の合理性と、それを構築する頑強な身体。

これまで歴代登場してきた日本のミッドフィールダーのスター達とは、味わいが違う。

木村和司やラモス、名波、中田、小野、俊輔。皆「華麗」な技術を持った「千両役者」であった。(中田はちょっと本田に似ている。華麗より強さというイメージがある。)本田はそういった存在とは違う位置にいる。「自らパスを出し、パスを受け、ゴールを決める。また攻撃も守備も当然のようにやる。」そういった現代サッカーのワンピースを体現している。俺は守備はやらない、とか古いことは言わない。そして、それを同じ次元で知り始めている仲間達、岡崎、香川、長谷部、遠藤、長友、内田らがいる。

千両役者と脇役という「単心」性ではなく、今のサッカーは「多心」性となっている。全員が同じイメージ持って、有機的に連動してゆく。これはオシムが目標としていた「日本のサッカー」の姿と重なるだろう。そのサッカーの入り口に日本は今、やっと立っているのかもしれない。心に身体がやっと追いつき始めているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

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ブラジルW杯アジア最終予選 日本vsオマーン

昨日の試合を観て思ったのは、日本は「強くなったな」ということ。

相手のオマーンの実力が少々物足りなかったのも多々あるが、近年の最終予選初戦は、大抵ギリギリの試合だった。結果は3-0の完勝、オマーンのシュートはほぼゼロに抑えた。

90分間、密実な守備が続き、相手にサッカーをさせなかった。最後まで休まずに闘い続け、アタックし続けた守備の連動性がこの試合の鍵といっていいだろう。守備といっても、ディフェンダーだけの問題ではなく、香川や本田といった攻撃の選手の守備意識と連動性が光っていたことに勝因がある。誠実で、タフな守備網であった。

 

一点目、すべてダイレクトパスで組み立てられた攻撃は、ワールドクラスといっていいだろう。あの攻撃は、相手がブラジルでも得点となるはずだ。そして本田の最後のボレーは、全く冷静であった。私の世代の選手だったら、あの局面では緊張して力み、ボールはゴール上部に飛んで行ってしまうのがオチである。

 

これを経験値というのだろう。現日本代表のメンバーのほとんどが、欧州のチームでプレーをしている。いままでは特定の少数の選手だけだった海外組が、いまでは大多数である。それぞれの経験値が集合して、分厚い圧力となって昨日の試合を作っていた。

 

最近、本田のプレーが気に入っている。

無駄のない、冷静なプレーだ。ポイッ、ポイッとボールをシンプルにさばき、前へ前へと攻撃を運んでゆく。前世代のエース、中村俊輔との違いは明らかだ。ボールをこねる俊輔に対して、シンプルに力強く前へボールをさばいてゆく本田。(俊輔も好きだけど。)その本田と長友、香川、岡崎と、頼もしい役者が揃い始めた。さらに下の世代には、宮市なんかも控えている。次々と新しい役者が台頭して、サッカーはいつだって面白い。

 

が、なんといっても舞台は最終予選。

こんなにいい状態がずっと続くほど甘くはないだろう。

試合を重ねるごとに更にチームの連動性を高めて、面白いサッカーをみせてほしいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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チーズケーキと対極主義

茅ヶ崎サザンビーチの目の前に、美味しいチーズケーキ屋がある。

チーズケーキが盛られたお皿の片隅には、塩コショウが添えられている。

それはレモンやブルーベリー、レーズン、生クリームなどと一緒に、美しくお皿に盛りつけられている。

 

チーズケーキにレモンをしぼって食べる。ブルーベリーやレーズンなどもチーズケーキと一緒に食べる。と、ここまではいいだろう。想像どおりに美味だ。が、次なる塩コショウは初めてだ。

 

これが、うまい。

 

甘さと塩辛さ、スパイスが絡み合う。

しかし、これは決して調和ではない。

 

対極する要素が互いの矛盾を抱えながら、共存する。そしてきらめく、爆発する。

どこかで聞いたことのある言葉である。

岡本太郎の対極主義である。

 

僕はこのような旨さを持つ料理を、「対極主義料理」と名付けている。

その事例としては、「柿と塩昆布と水菜のサラダ」「マスカルポーネチーズのメープルシロップがけ」などがある。最近よく見る、塩キャラメルなどもその一種であろう。

 

調和の旨さではなく、両者対極の緊張感から生み出される現象、旨味。

料理は、太郎の対極主義を理解するに、格好の材料である。

 

 

 

 

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氷を彫刻するマスター

少し前のこと。

連休中のことなのですが、千駄ヶ谷で飲みました。

「リカリスイ」という大きな看板を掲げた店で、小さな古い一軒家に4件のバーが高密度に同居しているという「シネコン(シネマ・コンプレックス)」ならぬ、夢の「飲みコン(飲み屋コンプレックス)」なのでした。

その佇まいは、横尾忠則の「Y字路」シリーズのごとく道を左右に切り裂き、二股に別れた道の向こうへと時間軸がねじれてゆく。この場所で、あらゆる要素をねじれさせてゆく、見事なオーラをまとっているのです。

4軒の店はどれもスバラシイのですが、その中の1軒、道に面した黒いバーがあります。夜もかなり更けた時間に、店の前に大きなバイクが横付けされました。マスターの登場です。開店と同時に席につき、僕らはバーボンのロックを注文。カウンターの向こう、厨房内には、ウッドベースが置いてある。マスターはロカビリーをやるらしい。なるほど、髪型はリーゼントだ。そしてマスターがおもむろに取り出したのは、大きな板氷。それを大きな中華包丁で割り、削り始める。あっという間に、球形の氷を削り出した。球形の氷は、僕のグラスのお酒に合う形、隣のバーボンロックには四角い氷、それぞれのグラスにぴったりなカタチを削り出して、酒を注いでゆく。そうなると当然、お酒は格段と美味しくなるわけです。

 

いい仕事をみたなぁ。

忘れないうちに、一筆。

 

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切なく鮮やかな、ポロックの男気

先日、ジャクソン・ポロック展に行ってきた。

場所は竹橋の国立近代美術館、天気は大雨である。

 

この展覧会は絵を観るというよりも、ポロックという画家の生き様を見る感覚の強いものであった。展示は制作年代順に構成され、まずは「どうも冴えない、もう一歩足りない?」と感ずる作品が続いてゆく。「ポロックは一日にしてならずだなぁ。ポロックも苦労してるんだなぁ」と少々切なくなり、また同時に、その苦悩は、「頑張れば何か掴めるかもしれない」という我々への励ましにも通じてゆく。そんな試行錯誤期を越えて、ついに登場するドリッピング、ポーリング技法による作品は一段と輝かしいものであった。ストレートであっけらかんとした、湿度の無い「カッコいい絵画」という言葉が似合うのである。色彩の線や点は今現在も完全に生きており、鮮やかに連続、反射してゆく。ここには「意味」はなく、「躍動」と「響き」があるのみである。

ポロックの制作風景を映した動画をみた。絵の具を刷毛などで確かに滴らせているのだが、思いのほか「描いている」感覚に近い。7対3の7が意図的な描き、3が偶然性という感じである。だれでも描けそうに見えるドリッピングであるが、その滴りの大半は、ポロックのバランス感覚によるコントロールが濃厚に成されていることを目撃した。ポロックは自身の作品を「カオス」と言われることを嫌い、「カオスじゃねぇんだ」と言ったという。ここには、秩序があるのだと。やみくもなアドリブではなく、ある秩序を踏み超えた上でのグルーブなのだと。

 

そして、ポロックは頂点を極めたドリッピングの作風にしがみつかず、新たな作風に挑戦し、失敗する。何を描くべきか分からなくなり、アトリエから足が遠のいてゆく。そして飲酒運転の末、木立に激突し、44才でこの世を去った。

 

ヒット曲を一発出して、それで一生食ってゆく演歌歌手的人生ではなく(演歌歌手が嫌いな訳ではありません)、次々と新たな挑戦を繰り返してゆくピカソ的人生を選んだポロック。あなたの男気は、美しく、切なく、また鮮やかです。短かったけれど、最高の輝きを放ち、美術史を確かに揺さぶった作品を、私は確かに見ました。

 

 

 

 

 

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パラグライダーと鯉のぼり

今日、茅ヶ崎サザンビーチで湘南祭がありました。

砂浜の上でライブがあったり、フリーマーケットがあったり、出店が並んだりする

ゆるい、のんびりとした祭です。

 

サブステージでライブを観ていると、目の前の空をモーターパラグライダーが横切ってゆく。

しかも、三匹の鯉のぼりを引き連れて。

 

竿に並んで泳ぐ様も結構楽しそうだけれど、これは本格的に自由だ。

空を完全に泳いでいる状態。

ここまで活き活きとした鯉のぼりを見るのは、初めてです。

 

パラグライダーと鯉のぼり。

これはかなりハッピーな組み合わせですね。

絵になります。

 

 

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深紅のFlag   風になびかせて

地元・茅ヶ崎の若いロックバンド、「クリムゾントリックスターズ」が活動休止した。

茅ヶ崎駅の路上で見かけて「あ、いいな」と思い、茅ヶ崎や湘南地区を唄う詩に親近感を覚え、桑田佳祐やドリフ、昭和を彷彿とさせる面白MCもいい感じで、じっくりと応援していたのだが、淋しいことに活動休止となってしまった。

彼らは大学時代からバンドを結成し、8年間の活動期間だったという。その間CDを3枚リリースし、たくさんのライブ活動をし、TVKなどにテレビ出演した。

 

先日、活動休止前最後のライブが横浜で行われ、ライブハウスは名残を惜しむ人々で一杯になった。

 

20代のほとんどをバンド活動で費やしたであろう彼らの日々。CDを出して、PVを作り、「星を追いかける」日々。バンドスターへの山登りは、とりあえず一段落だ。最後の曲が終わったと同時に、彼らの青春のひとつの段落が、確かに終わったのを目撃した。それはそれは、なんと明確で爽やかで切なく、まぎれもない青春のカタマリであった。

 

自分の住まう土地、茅ヶ崎という風景と共に彼らの音楽に身を寄せていた私も、曲が終わると同時に、あるひとつの季節が終わった気がした。モノをつくる情熱とそれを表現する情熱と、ライブはそれを目の当たりにさせてくれる。地元がゆえに頻繁に彼らの挑戦する姿を拝見し、いつの間にかその物語を僕は傍らで観ていたらしい。勝手に並走しているような気でいたのかもしれない。

 

「〜星を追いかけるさ どこまでも

 深紅のFrug  風になびかせて〜」

 

 『All Day Truckin!!』 by クリムゾントリックスターズ

 

 

彼らの活動と、愛すべき歌達に、乾杯。

 

 

 

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さくら

「天気が良くて、桜が咲いている」となると、部屋の中でメシを食っていられなくなる。部屋の中ではソワソワしてしまって、落ち着かない。よって近くの公園で桜を見ながら食事をすることにした。

 

空は晴れているが、風は冷たい。

ダウンジャケットとマフラーを装備して、風にあおられながらの花見。

 

桜はやはりきれいだ。

毎年、毎年、同じことを想う。

桜はきれいだなぁ、と。

 

桜が咲いて、花の下に集まって飲み食いする習慣は日本特有のものらしく、他の国にはないそうだ。たまには気が利いたことをやるじゃないか、日本人も。

エンターテイメント部門で、他国より勝る(?)のはいいことだ。

 

祝祭のように春を告げる花の下で集い、ほろ酔う。

お行儀の良い日本人らしからぬ、はしゃぎぶりで、なかなか良いアイデアだ。

 

 

 

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強風

打ち合わせを終えて外に出ると、強風にやられ、一瞬のうちに傘が壊れた。

安物のボロ傘とはいえ、あまりにあっけない結末だった。

「夕方から台風並みに天気が荒れる」と予報で聞いていながら「まあ大丈夫だろう」と高をくくり、さほど焦らずに小田急線に乗ったが、藤沢に到着すると東海道線は何時間も前から強風のため運転の見合わせしていた。辻堂、茅ヶ崎とあと2駅なのに、突然の足止めである。思いがけなく、ちょっとした帰宅難民風の時間を過ごすことになった。

振替バスの天文学的行列にはどうしても並ぶ気がせず、夕飯をすませ、コーヒーを飲む。ああ今日は小説を持っていてよかった。電車が動きだすまで、コーヒーでねばり、小説を読もう。気が向いたらエスキースでもしよう。これはこれでいいかと、帰宅難民ライフを充実させる作戦に入った。某ファーストフード店には似たような人々がいて、不思議な一体感がある。あせったり、もがいたりしても、天気、自然には我々はかなわない。1年前に強烈な一撃を我々日本人は食らってるから、皆その分、対処が落ち着いてきている。帰宅難民の経験値が上がっているのである。

幸い3時間ほどのコーヒータイムで交通機関は回復し、無事に家に帰ることができた。強い風はまだ残っていたから、駅からは髪や上着をあおられながらの歩行である。つくづく自然の破壊力を見せつけられ、人はその分際を知るこの頃である。

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インフルエンザと金八

子供のとき以来、久しぶりにインフルエンザを患った。

高熱が出て、手足関節が痛くなるというあれである。

熱が下がり始めても、ウイルスは数日消えないらしく、他人に移さないようにと寝床での生活を強いられた。寝るのに飽き、また難しい本も読む気がせず、また所有のDVDも気が進まず、テレビをみることにした。

 

そこで、金八である。

なつかしいあれが、昼下がりに再放送でやっていた。

しかも金パチで一番有名といえるであろう「腐ったミカンの方程式」の回である。

加藤マサルである。

 

寡黙な加藤マサル。目で演技する、なかなかの存在感。

当時は「不良」という存在にリアリティがあり、

「不良」は役者ばりに真剣に「つっぱって」いたものだ。

時代全体が演劇ばってもいたから、その中で「不良」たちも、演劇的なセリフを大真面目に吐いていたものだ。そう、皆、大真面目でした。不良は大真面目にバイクに乗り、太いズボンを履き、眉毛を剃ったりしたいたのでした。泣けるぜ。

 

「悪さ」でいえば、今の「不良」達の方がきっと悪いことをしているのでしょうね。

でも、わかりづらい。水面下でうごめき、金パチの頃の「不良」のように、必死のパフォーマンスをしない。悪を装ったSOSのサインを表には出そうとしない。金パチを見ていると、「不良」も健康的だったんだなあ、と思う。あと不良も不良でない奴も、先生も生徒も親も、なんだかんだで共に生きていたのだなあ、とも感じる。ゴツゴツぶつかりながら、結局かなり熱く、共に生きている姿が金パチでは描かれている。このドラマを「クサイ」の一言で片付けることはできるけれど、「クサ」くない現代には「無臭」の不気味さや冷たさ、虚しさがある。「贈る言葉」歌って肩を組んでグチャグチャ泣く「クサ」さは恥ずかしいけれど、「クサ」さの排除を積み重ねて出来上がった現代の雰囲気をみると、これがベストとは思えない。センスの良い「クサ」さが必要なのだろうと思う。

 

 

 

 

 

 

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薔薇と梅花

庭の梅の花が満開だ。

まだ寒い空気をこじ開けるように咲く白い花は、意思的で凛としている。

冬という季節の膜を切り裂き屹立する姿は、春を静かに連れてくる力強さがある。ゆるく祝祭的な「桜」に対して、梅の花は寡黙で、清楚だ。「ああ、また春がくる。そしてその次は夏なのだ」と、活動的な季節への心の立ち上げを促すのである。

 

昨日、薔薇の花をいただきました。

卒業式、その後の飲み会で、学生達からのプレゼントです。

酔っぱらっているうちに茎を折ってしまいましたが、小さなビンに短い薔薇を差したら、逆にお洒落になりました。

毎年毎年、卒業制作は全員が全員ドラマチックで、全身全霊だ。

波瀾万丈の半年間を、それぞれが必ず過ごしてゆく。

調子の上り下り、泣いたり笑ったりと、僕ら教師陣も共に振動する。

一生に一度の、青春のカタマリの卒業制作、大仕事を成し遂げた卒業生が今年も旅立ってゆきました。

 

卒業生よ。それぞれの人生のSPARK!を祈ります。

そして、DON`T WORRY. BE HAPPYだ!

 

 

 

 

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また、ヒリヒリとするサッカーの季節が始まる〜W杯最終予選〜

サッカーワールドカップ2014ブラジル大会・アジア最終予選の組み合わせが決まった。ワールドカップ本戦はもちろん面白いのだけど、ヒリヒリするような最高の緊張感が提供されるのは、やはりアジア最終予選であろう。

今回はオーストラリア、イラク、ヨルダン、オマーンと同組となった。実力以上の何かがうごめく「もっともメンドクサイ相手」韓国とは別組となったが、最終予選に楽な相手などいない。日本ごときが見下せる相手など、アジア最終予選では皆無である。アジアは蓋を開けてみなければわからない。

今回はジーコ率いるイラクの存在が、面白くも、不気味でもある。あの人の「強運」や「負けず嫌い」が日本に本気で向かってくるのは、なんとも恐ろしい。Jリーグ元年のチャンピオンシップ・鹿島VSベルディ川崎の唾はきPKのシーンが頭に浮かぶ。ジーコは敵に回したくない人だ。

ワールドカップ出場経験も4回を数え、出場することが当たり前になりつつある。初出場を夢見て炸裂したが、届かなかったメキシコW杯予選の木村和司のフリーキックはもう27年前。ラモスやカズのドーハの悲劇は19年前。岡ちゃんがY字にまっすぐ手を伸ばしてダッシュしたジョホールバルの歓喜から15年。今度の代表の奴らは、どんな闘いを観せてくれるのだろうか。

また、ヒリヒリとするサッカーの季節が始まり、僕らは少しづつ年をとる(笑)。

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攻守バランス

集合住宅のことを考える。

数年前まで住んでいた海の目の前の古いマンションは、インチキ「コルビュジェのユニテ」のような雰囲気があり、地上レベルには狭く浅いプール、エントランスにはゆったりとしたソファスペース、屋上は開放されていて「娯楽室」という名のマンション住民の為のペントハウスがあった。それらのいわゆる共有スペースは、面積的にはかなり豊かなものであった。

では、そこで、さぞかし豊かな住民同士のコミュニケーションがあっただろうと思われようが、実は、そうでもない。結局は普通のマンションと同じような、挨拶程度の関係で終わるのである。やはり、ただ単に、そのようなスペース、ハードがあればいいというものではないらしい。ハードを有効に活用できるような仕組み、ソフトがなければ何も生み出されないのだということを、私は身を持って体験した。

今、プライバシー、セキュリティーとさんざん「守り」を固めた結果、「孤立」という弱さと危険が浮き彫りになっている。ニュースに流れる孤独死という問題、そして3・11の津波で逃げ遅れた原因の中にも「連携不足」が大なり小なりあると思われる。

完全に開き切るわけにはいかないが、閉じてばかりはいられない。そのさじ加減、バランスはどこにあるのか。守り一辺倒の状態を崩した、攻守バランスのとれた住まい方とはどのようなものか。硬直した家とまちの関係を緩める手段を考えよう。

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野又穣〜悲しい時は、悲しい歌を〜

画家・野又穣氏のファンは多いことだろう。

過去か未来か、どこの国が舞台なのか。キャンバスの中に建築を建てる画家である。

先日、野又穣氏のトークショーに足を運んだ。氏は大変な音楽好きだそうで、絵画のイメージも音楽から得ることが多いということである。今回のトークショーは、野又氏本人がいくつもの楽曲をかけながらDJの様に語りが進んでゆくという大変ユニークなものであった。

 

震災の後、野又氏は筆が止まったという。何ヶ月か仕事場に行かなかったそうだ。

そして震災からそろそろ1年というタイミングの今回の展示では、「BLUE CONSTRUCTION」と名付けられたシリーズが発表されていた。それらの作品は、今までの作品よりもより憂いを帯び、また余計なものを削ぎ落とし、本質に迫ってゆくような静かな迫力のあるものであった。(野又氏の描く煙突や鉄骨フレーム、風車などのアイテムが好きな人には、少々物足りなく思えるかもしれない。)

 

トークの中で野又氏は、「悲しい時は、悲しい歌を歌えばいい」のだ、言った。

そして、徹底して悲しみを歌う幾つかの音楽を紹介してくれた。

今回の「BLUE CONSTRUCTION」シリーズは、文字通りに我々の「BLUE」な心を表している。震災以後の我々の悲しみを、気張らずに、無理せずに、「悲しい時の悲しい歌」を奏でているのである。

 

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ベンシャーンの線

先日「ベン・シャーン」展の最終日に滑り込みで観に行った。

場所は神奈川県立近代美術館・葉山館である。

 

ベン・シャーンの絵は美術の教科書にも載っていたりして、子供の頃から好きだった。ベン・シャーンと言えば何といってもあの「線」。ギザギザしたような、あの「線」である。

 

今回多くの作品を観て感じたのは、「極細線がまたすごい」ということである。細かいフェンスやバイオリンの弦の描写など、1ミリ程度の間隔でフリーハンドの線を連ねてくる。揺れる手描きの味わいを出しながらも、それぞれの線が重なったり、途切れたり、などというミスは皆無である。

慎重で精密で、かつ大胆である。線描として無敵である。

 

ギザギザの線は、筆の滲みなどによる偶然性の「天然」なのか、装飾的な「作為」なのかをじっくりと観察したが、どうやら「天然」と「作為」のミックスであることが判明した。同じ絵の中に、かすれやにじみの部分もあり、明らかにギザギザを上から「作為」的に作り出している部分もあった。

 

シビレル「線」の魅力を堪能させてくれる「ベン・シャーン」である。

 

 

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sha na na

「sha na na」という昔のアメリカのバンドに、ネットで出会った。

暑苦しいオトコ達が、歌い、ヘンテコな踊りを踊る集団である。メンバーは10人程度、センターの三人は、なんと金ラメの衣装を着てキビキビと踊り、少し後の方では、リーゼントで眉毛のつり上がった兄ちゃんが低音のボーカルを響かせてカクカクと踊るのである。

音楽は、オールドスタイルのロックンロール、ドゥーワップというところ。

音だけ聴いているとなかなか普通にカッコ良いのだが、映像を見るとほとんどコミックバンドである。シャネルズ(ラッツ&スター)なんかは、このバンドの影響を受けたんだとか。

ヒップホップのせわしないダンスが盛況の今、なかなか良いと思います。かなりコミカルですが。

冒頭に「昔のバンド」と書きましたが、今も現役で活動中とのこと。

 

 

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「石子順造的世界」

府中市美術館で開催されている「石子順造的世界」展を観に行った。

正確にいうと、石子さんについて語る中沢新一氏と椹木野衣氏の対談を聞きに行った。

最近よく著作を読んでいる二人なので、「生」椹木と「生」中沢のトークを大変楽しみにしていた。

石子順造は、いわゆる「普通」の美術批評から漏れてしまうような「漫画」や「キッチュ

(たとえば、銭湯のペンキ絵やマッチ箱のデザインなどなど)」という題材を論じた人物であり、歴々の美術批評家の中で異質なポジションにいる。

石子のフォーカスは、我々の生活とは遠い所にある欧米の頭脳ゲームのような「芸術」ではなく、我々の実際の生活と密接にある色や形の現象としての「漫画」や「キッチュ」に向いている。「漫画」や「キッチュ」は俗物のイメージが強いが故に「異質」となってしまう宿命があるが、石子の批評活動は、実は非常に本質的な行為であったことに、我々は「今となって」気づかされるのである。

脱いでも脱いでも、我々の身体にまとわりつくような「しつこい」西洋美術・デザイン・思想・経済の価値観を、日々はぎ落とす努力をしている椹木氏、中沢氏。お二人の現在進行形の熱いしゃべりは、非常に刺激的であった。(小さな会場が満員で、立ち見で2時間はつらかったけど。)

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あけましておめでとうございます。

 

2012 

本年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

今年の年賀状は、

四六版サイズ(788×1091)に

大きな絵を描き、

絵が完成した後に、

ハガキサイズに切り離しました。

 

赤地と緑地の2種類の原画の写真です。

 

 

 

 

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クリスマス

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追悼 吉田カツ

 

イラストレーター 吉田カツ が亡くなった。

 

 

学生の頃「吉田カツEXHIBITION WORKS 1979~1991」

という画集に一目惚れし、即座に購入したのだった。

画面は動的なパッションに満ち、荒いタッチと確かな描写力が同居する表現に惹き込まれた。

色彩とタッチの激しいぶつかり合いは刺激的で、日本人の湿った感覚から脱却するパンチ力があった。

 

 

例えば、カリブ、ニューヨークのストリートピープルのシリーズなどは、ビビットな色彩構成と太筆中心の自信に満ちた奔放なタッチが競合し、海向こうのワルさとダンディズムを存分に輸入して見せてくれたのである。

 

 

洒脱に反体制の匂いを放つ、ロックンロール画家。

吉田カツ氏に、多大な感謝をこめて。

 

 

 

 

 

 

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空へ はためけ

 

 

 

 

 

 

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食卓のむこう

 

 

 

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automatic

 

 

オートマティック。

これ、サッカー用語としての、オートマティックです。

元日本代表監督、トルシエがよく使っていた言葉。

「オートマティック」に連動してゆく選手の動き、ボールの動き、というようにこの言葉を使う。

 

連動してゆくように、色彩が積み重なってゆきます。

頭で考えすぎるのではなく、オートマティックに、色彩を連ねてゆく。

反射神経で描いてゆく絵。

スポーツとアートが近似する瞬間です。

 

最後のシュートは、黒い線です。

これで、ゲームを終わらせるのです。

 

 

 

 

 

 

 

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ehime3連発〜yawatahama〜

 

 

 

 

 

 

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ehime3連発〜tainosiokara〜

 

 

 

 

 

 

 

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ehime3連発〜niihama~

 

 

 

 

 

 

 

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あるいて さしかかる

 

 

あるいて さしかかる

 

ひらく くぐる たいき

 

 

 

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考える ものをつくる

 

 

ケンチクはないかもしれないけど、住処(すみか)は確かにある。

ビジュツはないかもしれないけど、美しいかたちは確かにある。

 

根源へと、向かおう。

 

 

 

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いちょう並木のセレナーデ

 

晴海埠頭を船が出てゆくと

君はずっと眺めていたよ

そして過ぎてゆく日々を

ふみしめて僕らはゆく

 

やがて僕らが過ごした時間や

呼び交しあった名前など

いつか遠くへ飛び去る 星屑の中のランデブー

 

もし 君がそばに居た眠れない日々がまた来るのなら

はじける心のブルース 1人ずっと考えてる

彼女は言った(シー・セッド) 

”ブルーの用意はできてるの(ア・ア・ア アイム・レディ・フォー・ザ・ブルー)”

 

「いちょう並木のセレナーデ  作詞作曲/小沢健二」

 

 

 

秋に染みる曲です。

小沢健二のオリジナルももちろん良いのですが、ハナレグミとリリメグのカバーが、また良いです。

youtubeで観れます。

 

 

 

 

 

 

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ボーダー

 

 

 

 

 

 

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祝祭

 

 

 

 

 

 

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酉の市

 

 

よこはま 酉の市

 

よこはま橋商店街にて

 

生がき をつるりと ポン酢をかけて立ち食いする

 

うまい

 

生がき のうまさは 実に複雑

 

食えるのか 食えないのか 正しいものか いけないものか

そんな境界線のスリル。

 

美か 醜か  妖艶か グロか    あるいは 善か 悪か 

そんな引き裂かれそうな二面性を抱えこんだ緊張感。

 

それが、生がきの絶妙な旨味である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ダバディバ

 

 

ダバディバ ダディバ

シャバダバ ヨ

 

 

 

 

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今朝の茅ヶ崎の海

 

今朝の茅ヶ崎の海は 天気が良かったせいか

いつもより多くのサーファーと自転車とマラソンランナーで賑わってました。


富士山頂にはいつのまにか雪が積もり、雲の上に白い頭を突き出していました。

 

秋のど真ん中、あるいは、冬のはじまりの祝福のような日に、

どちらともなくあつまり、また思い思いに散じてゆく場所があるこの町は とても幸福だと思う。

 

 

 

 

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前のめりではなく

 

前のめりではなく

前のめりになる必要なく

 

ゆとりを持って

観ることのできる日本代表の試合であった。

 

代表メンバーの半分が海外のチームから合流する日がくるとは、

昔は想像もできなかった。

ワールドカップに出場することも、夢のまた夢だった。

 

じりじりと変わるものだなぁ。

じりじりと じりじりと 成長してゆくものですなぁ。

 

 

 

 

 

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あき よき べき

 

 

 

あき よき べき

 

すき にき かき

 

えき とき ゆき

 

 

 

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ライトマン・ミニ

 

はじめまして。

 

机の上で ベッドの横で 棚の上で 

活躍する ライトマン・ミニ です。

 

いつの日か 皆様の前に 姿をあらわすことでしょう。

その日まで ごきげんよう!

 

 

 

 

 

 

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Run to the hills

 

 

丘まで走れ!!

 

 

 

 

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たとえば

 

たとえば 服の色を派手にしてみる

たとえば 新しいシステムのバッグにしてみる

たとえば いままでではありえないデザインの靴を選択してみる

 

 

 

 

 

 

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School of Rock

 先日「スクール・オブ・ロック」という映画DVDをみた。

  2003年あたりに日本で公開された、アメリカのコメディ映画だ。

 

 ぼくはこの手の青春映画、音楽映画に弱いので、かなり笑って、かなり泣いてしまった。

 アメリカンB級コメディの香りプンプンですが、

 「青春」「音楽」「バンド」にツボがある人に、おすすめです。

 

 難しいことを考えたくない、時間ある休日に、ゴロゴロしながら、どうぞ。

 

 小説「青春デンデケデケデケ」や映画「スイングガールズ」なんかに似た感触の、青春と音楽の物語です。

 

   いいなぁ。青春と音楽は。

 

 

 

 

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ぱぱぱぱ ぴぴぴ

たぴおけのささの

はまごりの

ぱぱぱ

ぴぴぴ

ぱりっぱりっ

 

ふかまる秋と ほろほろの

きゅーん きゅーんとの かさまして

 

ふみしめて また とびあがり

ぱぱぱぱ

ぴぴぴ

ぱりっ ぱりっ

 

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Piano has been drinking

 

 

Piano has been drinking.

My necktie's  asleep.

 

「Piano has been drinking 」    by  Tom Waits

 

 

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黄色い旗

黄色い旗を明日、制作中の現場に立てます。

空にたなびく黄色い旗といえば、「幸せの黄色いハンカチ」なわけで、

それは健さんであり、山田洋次であるわけです。

そして健さん、倍賞千恵子、山田洋次つながりとなると、当然「遥かなる山の呼び声」も見逃せないわけです。

 

「遥かなる山の呼び声」は、わりと知らない方も多いと思いますが、

 山田洋次監督の重要な傑作のひとつですので、要チェックです。

 

 

小さい黄色い一枚の旗が、いろいろな思いを引き連れてきそうです。

幸福感を携えながら、あっけらかんとした存在感で風に立つ予定です。

 

 

 

 

 

 

 

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そのような、それでない

 

 

 

 

 

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スピード 

 

 

 

 

 

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今日までそして明日から

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2 seconds

 

 

 

 

 

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音のない爆発 ひかりのない閃光

音のない爆発

ひかりのない閃光

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Jelly ?

世界が大きくなればいいってもんじゃない。

世界との距離が縮まればいいってもんじゃない。

やたらめったらつながりゃいいってもんじゃない。

とまらない。

とまらない。

振り返りもせずに、歩き出したらとまらない。

 

それでは いかん。 

 

たまに休んだり、もどったり、

見晴らしのいいところで景色をみたりしなければならない。

 

ひとつのみち、ひとつのルートだけでなく、

いくつものみちが見えてくるまで ねばれ ねばれ。

 

ちょうどいいつながりと

ちょうどいい世界の大きさがあるはずだ。

 

 

 

 

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FLY

飛べ シャガールのように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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キラキラ

キラキラと 色がいる

 

それぞれが独立した輝きを放ちながら

 

それぞれが ざわめきながら いろめきながら

 

空間に はなやぐ

 

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クロス・クロス・クロス

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ミチバチの羽音と地球の回転

「ミツバチの羽音と地球の回転」というドキュメンタリー映画を観てきました。

 なかなか見応えのある映画です。

 原発のこと、エネルギーのこと、考えさせられます。

 機会のある方は、ぜひ観てみてください。

 

 

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空と海と情熱と黙考

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真心 ~ 空に舞い上がれ ~

我々が設計した「スターパインズカフェ」に、

真心ブラザースがやってきました。

 

真心を迎えるにあたり、青い柱の補修をしました。

生石灰クリームに青い色粉を混ぜたものを塗り、

布で磨きをかけます。すると経年で抜けた艶がもどります。

 

真心ブラザーズのお二人は、

昔と変わらず、唯一無二の自分の声で、

自分の考えや心の風景を描いた歌を創り続け、

歌い続けている。

その充実した生き様を見た気がしました。

 

モノづくりの人生の面白さを、

今夜存分に見せてくれました。

 

 

 

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まちかど

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雨に濡れて。

 

独り。

 

石がいる。

 

億年を蔵して。

 

にぶいひかりの。

 

もやのなかに。

 

 

 

 

「 石 」 草野心平

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ハバナイスデイ

 

 

 

ハバナイスデイ

 

よい一日を!

 

 

さわやかでいい挨拶だ。

 

スカッと

カラッと

していて よい。

 

 

 

 

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8-0

8-0。

 

ケンゴとハーフナー。

出し手と受け手とつなぎ手と突破屋と、、。

ふたりが入ることで、

みるみると、

グループは連動し始めた。

 

みるみると、みるみると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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YO-KO-HA-MA

  ♪ そうよ あなたが望むなら 朝まで踊りましょう

  恋人同士で Cha Cha Cha

  寄り添って Rhythum  and Blues ♪

 

「Friday Night In YOKOHAMA

   / クリムゾントリックスターズ」

 

 

横浜。

トリエンナーレ。

安野光雅の絵本展。

 

 

安野光雅の精密さと数学、透明水彩の美しさに溺れた。

トリエンナーレは、石田徹也からダミアン・ハースト、

オノヨーコまで、

バリエーションの渦に溺れた。

 

最後は、関内「ビストロマール」にて、

ワインとチーズに溺れた。

 

いと良き一日であった。

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つられて明るく

 

 

 

ピンク色の背景。

 

黄色はラッパのように見えるが、

ラッパを描いた訳ではない。

 

黄色とピンクと水色が、

元気良く音をぶつかり合わせている。

 

明るさ、熱、それらの色が、高揚した気分を作る。

 

「カラ元気」も時には必要。

 

「妙に明るい」絵につられて、

こちらも明るくなってしまう。

 

つられて笑ってしまったり、

つられて泣いてしまったり、

つられてあくびしてしまったりするのと同じ。

 

つられて明るくなってしまうような絵は、

とても大切です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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